
野沢温泉村と言えば、スキーと温泉と、そして野沢菜。けれど、全国のスーパーで売られている野沢菜のお漬物は、地元のものとはずいぶん違います。野沢菜は、収穫直前には、地上1メートル近くにもなる、大きな大きな野菜なのです。ね、ちょっと驚きませんか?
このコーナーでは、野沢菜の歴史や、一年を通じた畑の様子に加えて、味と食べ方にまつわる話を色々ご紹介いたします。産地直送、野沢菜の本当の姿を、とくとご覧ください。
野沢菜の味
信州では「お葉漬」と言っている野沢菜漬の一番おいしいのは、寒さの厳しくなる冬場です。昔からこの時期の野沢は、農閑期の湯治客が訪れてにぎやかになりました。日がな一日、お湯の合間にこたつにあたってお茶を飲み、おしゃべりに興じます。そのときの「お茶請け」の味があまり良いので、野沢菜の評判が上がっていったのです。
住吉屋には、「のらくろ」で知られる漫画家の田河水泡先生が野沢菜に開眼したときの話が残っています。
スキーに凝りはじめて毎年野沢に滑りにくるようになった先生が、すっかり親しくなった先々代主人(健三)と帳場でお茶を飲みました。そこでどんぶり一杯出たのが、樽から引き上げたばかりの、まだ茎に氷が張り付いたままの野沢菜漬。それを爪楊枝で突き刺して食べるとめっぽうおいしい。田河先生は、すっかり病みつきになり「野沢菜はやっぱり野沢で食べなくちゃ」なんてことをおっしゃるようになったそうです。
野沢菜は大きいものでは一メートル近くにもなるという大型の野菜です。この株の根元から一握りか二握りぐらいのところが味が良く、お茶漬けにするにも向くといわれています。
昔ならば一家の主人や客がそこを食べ、蕪や葉先は嫁や奉公人が食べたのだそうです。そんな風習は今はありませんが、お菜のどの部分が一番おいしいのか考えて食べ分けていた昔の人は、私たちよりもよほど丁寧に暮らしていたのでしょう。
切ったお菜を器に盛るとき、茎の部分と葉の部分を交互に重ねて出すと、全員がバランスよく全体を食べられます。現代の暮らしならば、こういう風な配慮がふさわしいかもしれません。
2011/12/12
秋の終わりに漬け込んだ野沢菜漬は、四月いっぱい食べられますが、だんだん酸っぱくなってきます。そこで、野沢では、早い人なら三月末に雪をわけて種をまきます。一般的には四月、月遅れの桃の節句のころに種まきをしています。これを「春菜」といいます。通常の「秋菜」とは違い、厚く蒔いて、次々間引いては浅漬にして食べてゆきます。
「春菜」の季節は、虫が大量発生する六月中旬ごろまでです。ただし、このごろでは春菜を作らず、「とうたち菜」を楽しむ人のほうが多いようです。これは葉を収穫した後の蕪を畑に残しておき、春にそこから出た芽を食べるものです。ほんのりと独特の辛味があり、浅漬けや炒め物にとてもおいしいものです。
雪の中で越冬した種用の野沢菜は、雪解けとともに急に成長し、五月初旬から中旬にかけて花を開きます。「菜の花畑に入日うすれ・・・」の文部省唱歌の通りの、すばらしい菜の花畑が一面に広がります。
六月上旬から七月上旬にかけて、野沢菜の種の収穫が行われます。ちょうど梅雨の時期ですが、晴れた日を選んで取り入れます。天気が悪いと茎が折れてしまうのです。これを軒先につるして日陰干しにし、完全に乾燥したところで種を取ります。
七月二十日ごろから、全国の種子問屋さんが野沢へ買い付けにやってきます。
一方、取り入れの済んだ菜畑では、株を抜き取って、菜がらを焼きます。その後除草し、耕し、有機質の肥料をたっぷり漉き込んで、再び種まきをする初秋の日を待つのです。
空気に初秋の気配が感じられる八月末ごろ、漬け菜の種まきが行われます。種を取るための株は、雪の下で越冬させるので、もう少し遅く九月はじめに種まきをします。
発芽から五、六日もすれば「一番間引き」です。地元では麻釜でゆがいたりして食べ、「鯛の刺身よりうまい」と珍重しています。十月中旬の「三番間引き」になれば、もう十センチほどに成長していますから、当座漬にしたりできるようになります。
野沢菜の収穫は十一月です。雪が降るまで畑においておくとおいしくなるとも言われていますが、茎が折れると後の処理が面倒になります。そこで、空模様を眺めながら、雪の降る前に収穫します。収穫したものは、温泉のお湯で洗います。旅行書などにたびたび登場する、北信濃の風物詩です。どの家でも二、三日かけて洗い、大きな樽に漬け込んで、冬の季節に備えます。
冬はもっぱら味わう季節。漬物の一番おいしい時期です。普段つつしみ深い村の主婦たちも、雪の夜長にお茶うけを出すときばかりは「うちのお菜はおいしいから食べてみてくれ」とすすめます。
野沢菜漬はそのまま食べるだけでなく、おかずの素材にもなり、色々な形で私たちの食卓を支えてくれます。
秋に収穫された葉の中で小さなものは、漬物にしないで陰干しにします。これを「掛け菜」と言っています。明治の末ごろまで、青いものが不足する冬には味噌汁の実として大活躍していました。
2011/12/13
「寺種」と呼ばれる、野沢菜の原種を栽培している健命寺。この寺に野沢菜の由来が伝わっています。京都に遊学した八代目住職が宝暦6年(1756年)に野沢に持ち帰った天王寺蕪が野沢菜の始まりなのだそうです。
天王寺蕪とは、大阪市が原産の扁平な蕪で、皮、実共に白く、千枚漬にできるほど大型です。それが野沢の雪深い気候で変化したものが野沢菜なのです。
今でも、畑から抜いた野沢菜には根元に蕪がついていますし、日当たりと風通しの良いところで育てると、もとの性質が出てくるのか、蕪の部分がずいぶん大きくなります。今日では主役を茎と葉にゆずっていますが、この蕪の部分も、もちろん粕漬けや糠漬けにして食べられます。
植物分類学上から言えば、野沢菜は白菜などと同じ十字科植物で、同科の他の植物と非常に交配しやすい性質を持っています。それにもかかわらず、「野沢温泉の野沢菜」という品種が定着したのは、周囲を山に囲まれた小盆地の中にあるという地形と、一年のうち数ヶ月を雪に閉ざされる気象条件が理由でしょう。
明治ごろは、野沢に来る湯治客の分布と野沢菜の栽培圏がほぼ一致していたといいます。湯治に来て野沢菜漬を食べた人たちが、これはおいしいと感心し、お土産に種を持って帰ったからです。野沢菜が全国で栽培されるようになった今、野沢温泉を訪れるお客様も全国各地からおいでです。これはお土産の種のせいではないでしょうけれど、面白い一致があるものです。
2011/12/13
村では野沢菜をつける前に温泉で洗っています。
湯でよく洗うと、虫離れがいいのだと伝えられています。木枯らしが吹いていても、なにしろ温泉で洗うのですから、寒さ知らずでおしゃべりをしながらの年中行事です。
時期には共同浴場のひとつが野沢菜専用になり、人間は入れません。こうやって洗った後の葉を塩漬けにしたものが野沢菜漬です。
美味しい野沢菜を漬ける方法に、秘密はありません。
作業は実に愛想のないもので、洗い終わった菜を樽の中に並べ,一列ごとに塩を振ってゆく作業のくり返しです。途中、丸の唐辛子を数本放り込む以外は、塩加減だけが勝負です。無論、この塩の振り具合には「勘と経験」が物を言います。
最初の一晩で30センチも嵩が減ります。水が上がってきたら、ちょいと舐めてみて、塩の量を確認します。この水は、ほんのりと菜の香りがして、美味しいものです。
漬け始めは重石をたくさん、量が減ってきたら、重石を減らします。あとは時間と山里の気候が味を作ってくれるのを待つだけです。
「勘と経験」のない人のためのガイドラインとしては、昔から、「三束一升」という言い方が伝わっています。三束十二貫(45キロ)ほどのお菜に一升(1・8リットル)の塩、という分量が基本なのです。最近では、塩のほかに味噌、醤油、煮干などを入れる人がありますが、塩だけで味わい深いお菜を作るのが昔ながらのやり方です。
一晩で水が上がるように、樽の中にあらかじめ水を少々入れておく工夫をすると上手く行くようです。
2011/12/13